やっつけ本番

思いついたら書きます

あなたは階段を登っているのではない

はとさん(@810ibara)主催企画「ぽっぽアドベント2023」に参加しています。今年のテーマは『NEW WORLD』。17日目担当のまどりです。
NEW WORLD Advent Calendar 2023 - Adventar


 勉強が楽しい。韓国語学習を始めて9ヶ月になった。
 知らない単語、文法、発音、慣用句、文化、歴史があることが興味深くてもどかしくて、「知らない」が「知っている」に変わっていく過程がとても楽しい。韓国語学習を始めてから、自分は勉強が好きだったのだと思い出した。
「語学学習は終わりがない」とよく言うけれど、熱しやすく冷めやすい性格で、なにかに夢中になってもある程度のところまで追いかけた後は「100%極めることはできないし」と勝手に意欲を失い離れてしまっていた自分にとって、終わりがないと感じられるものに出会えたことは喜びだった。
 きっと他のものだってそうだったのに、これまでの私にはわからなくて、気づかせてくれたのが韓国語だった。

 去年の秋頃、韓国のアイドルグループSEVENTEEN(세븐틴/セブンティーン)のファンになった。
 韓国語学習のきっかけは、彼らが話す言葉や作り出す音楽(グループの楽曲の作曲・作詞・編曲・プロデュースはほぼ全てメンバーのウジが手がけていて、他のメンバーも楽曲制作に携わっている)を理解したいと思ったからだった。
 韓国語学習を始めてから数カ月が経ったある日の夜、SEVENTEENの"Rock with you"という曲を聴いていたら、「이 밤은 짧고 넌 당연하지 않아(この夜は短くて君は当たり前じゃない)」という歌詞が、日本語の意味を考える前にスッと自然に韓国語のまま頭の中に流れてきた。
 あれ?私わかった?いま意味わかって聴いてたよね?と一瞬遅れて気がついて、涙が出そうになるくらい嬉しかった。

 5年前、韓国ドラマ好きの母親に誘われて初めて韓国を訪れた。
 あるレストランで食事をしていた時、父親らしき保護者と一緒に隣の席に座っていた小学生くらいの子どもが、「俺はナルトとワンピースが好きです。日本語を勉強しています」と日本語で話しかけてくれた。
 当時の私は「안녕하세요(こんにちは)」程度の韓国語しか理解ができず、日本語と簡単な英語を使って、ちょっとどぎまぎしながらも楽しく会話をした。その子は帰り際、「さっき買った美味しいパン」だと言って、半分に千切った食パンと済州島のみかんを私にプレゼントしてくれた。
 これまでずっと、「旅のとてもいい思い出」としてその時のことを記憶していた。
 だけど自分が韓国語学習を始めた今、勉強中の言語でその言語を扱う人に話しかけることはどれだけの勇気が必要だっただろう、とより切実にあの時のあの子に思いを馳せるようになった。緊張しただろうか。話しかける前に何度も頭の中で文章を考えたのだろうか。

 今年の10月、久しぶりに韓国を訪れた。これまでの海外旅行とはまったく異なるものだった。
 言葉が理解できることで飛び込んでくる情報量が格段に増えて、それがまた不思議で楽しく、拙いながらもラリーが続くコミュニケーションに高揚した。海外を訪れる時はいつもふわふわとした非現実感が強かったけど、初めて少し地に足着く感覚を味わった。
 韓国滞在中、家族に「景福宮を見に行こうか」と提案された。景福宮(キョンボックン)は朝鮮王朝の宮殿で定番の観光スポットでもある。
 いいねーと頷きかけたが、私は景福宮の歴史(日本による植民地支配で景福宮がどのような歴史を辿ってきたか)を深く知らなかった。
 勉強は楽しい。知らなかったことを知っていくことが楽しいと思っていた。でも私には、もっと知っておかなればいけなかったことが沢山あった。
 結局その日は景福宮の定休日が重なったこともあって、訪問は次の機会に持ち越しとなった。歴史を学んで、知っておかなければいけなかったことを知った私は、いつか必ず景福宮に行く。

 語学学習を継続する上で最も重要で最も困難なことは、동기부여(トンギブヨ/動機付与/モチベーション)の維持だと思う。
 韓国語学習を始めて半年ほどでモチベーションの低下が起きた。自分の韓国語に成長が見られないような気がして、あれこれ勉強法を模索しては焦って、落ち込んでいた。
 韓国語の先生(週1回オンライン授業を受講している)に相談をすると、「言語学習は階段ではない。階段を一段一段登るような成果の出方はしなくて、ある日ポンッとステージが上がって突然理解できるようになるんです」とアドバイスを送ってくれた。
 階段を登っているのではない、という言葉はまさに目から鱗だった。私の中には、「勉強」は着実に順番に一段一段努力と段階を積み重ねて進むものである、という固定観念があった。
 私は階段を登っているのではない、と考えると心が不思議と軽くなった。いつかポンッとステージが上がった自分を楽しく想像するようになった。

 少し前の授業で先生から「まどりさんの韓国語学習の一番の目標は、SEVENTEENの、彼らの言葉を聞き取れるようになることですか?」と尋ねられた。
 きっかけはそうだった。でも改めて尋ねられた時、確かに最初の目標はそれだけだったけど今は違うかもしれない、と思った。
 韓国語学習を始めてから、5年前にレストランで話しかけてくれたあの子のことをよく思い出すようになった。というか、もし今あの子に会えたら何を話そう、とあり得ない想像をするようになった。
 あの子が今も日本語を勉強しているかどうかもわからないのに、「저는 한국어를 공부하고 있어요. 같이 공부 열심히 해요.(私は韓国語を勉強しています。一緒に勉強頑張りましょう)」と咄嗟に口から出せるようにちょっと練習してみたりもした。
 もっと韓国の歴史を知りたい。もっと韓国語でコミュニケーションを取りたい。SEVENTEENのために始めてSEVENTEENとだけくっついていた韓国語学習の動機が、いつしか四方八方に広がっていった。

 私の韓国語学習は波が大きい。調子がいい時は1〜2時間勉強できるけど、布団の中で単語アプリを5分だけ解いて力尽きる日も多い。恐らくこのままのペースだと、私が韓国語を習得するのは(何をもって習得なのか?)遠い遠い未来だ。
 どうしてこんなに聞き取れないんだ?!と自分を情けなく思う日もあれば、えっ私ってこれくらいは聞き取れるようになってる?やるじゃん?とおめでたく過信する日もある。行って戻っての繰り返しだ。確かに先生の言うとおり、語学学習は階段を一段一段登るような達成感からは縁遠いのかもしれない。
 韓国語を学習している自分の姿をイメージしようとする時、イメージの中の私の頭の上には水瓶が載っている。
 水瓶の中にぽとんぽとんと、毎日数滴ずつ「知らないこと」「知ったこと」が溜まっていく。いつかその重さに気づいて水が溢れる時、ステージが上がる時を楽しみに待っている。


※担当日当日に記事を更新することができませんでしたが、私の(本来の)翌日18日目担当はたっくまさん
@tak_ma1090さんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)です!

私は無駄なものが欲しい

ぽっぽアドベント 『変わった/変わらなかったこと Advent Calendar 2020』(カレンダー1)に参加しています。20日担当のまどりです。
主催:はと (@810ibara) | Twitter



お金がない。本当にお金がない。

「今月ちょっと使いすぎちゃってピンチなんだ〜」とかそんな危機感レベルではなく、本当にお金がない。家庭の経済状況がすこぶる悪い。今の私は(我が家は)リアルかつ切実に「お金がない」。

女3人家族の我が家は、全員が短時間のパート勤務か非正規雇用で働いている。極めてプライベートな話になるので詳細は省くが、大病が重なったり、前の職場で色々あったり、まあとにかくそれぞれにあらゆることが起きたのだ。

私は仕事を2つ掛け持ちしていたが、片方の派遣の仕事はCOVID-19によってすっかり消し飛んだ。今はなんとか本業のシフトを増やしてもらったが、自転車操業というか焼け石に水感は否めない。
自粛要請が出た今年の3月〜5月の間は、お金の心配と、働きに行けば行くほど感染リスクが高まるのではないかという恐怖と、でも働かなきゃ食べていけないし……という矛盾と不安に代わる代わる引っ張られて、引き裂かれそうだった。本当に精神的につらかった。
今ではその不安に慣れてしまったのか、騙し騙し自分を宥める方法を覚えてしまったのか、春頃より少し気持ちは落ち着いた。問題は何一つ解決していないし、むしろ悪化しているのに。

「お金がない」と人はどうなるかと言うと、「本当に好きなものだけ」「本当に必要なものだけ」を選ぶようになる。
今年は経済的な理由だけでなく、COVID-19の影響で「不要不急の外出は控える」ことも意識していたので、なにか行動を起こそうとする度に私は、「本当にこれが好きか」「本当にこれが必要なのか」と全てを一々ふるいにかけるようになった。

まず、中学生の頃からずっと応援している「嵐」。これだけは考えるまでもなかった。嵐は私にとって絶対に必要なもの。

嵐は、今年の12月31日を最後に活動を休止する。
4月に予定していた北京公演は中止になり、5月に予定していた新国立競技場でのライブは一旦延期になった後、11月に無観客配信ライブとして開催された。アルバムツアーも計画していたようだが、それも無くなり、休止最後の活動は31日に開催される東京ドームでの無観客ライブだ。
今年の春以降、嵐のイベントやライブは全てがオンライン配信になった。配信ライブのチケットは絶対必要なものだった。だから買った。
でも、グッズはいつもより控えめにした。パンフレット、うちわ、クリアファイルだけ。活動休止前ということで今たくさんの雑誌の表紙を飾っているが、とても全ては買えないので、厳選したものをだけをいくつか選ぶ。

次に、俳優・前田公輝さんの初めての写真集とカレンダー。これも私には必要な物なので(と半ば言い聞かせて)買った。
前田さんがコラボしているアパレルブランドで最近新作のアイテムが発売されて、本当はいくつも欲しいものがあったけど、イヤーカフを一つだけ注文した。シンプルなデザインがとても素敵で、手元に届く日を心待ちにしている。

前田さんのファンになったきっかけは、去年友人に薦められて観た映画『HiGH&LOW THE WORST』の轟洋介役。衝撃的な出逢いだった。今年も相変わらず轟とハイローのことは追っかけた。
hagornmo1367.hatenablog.com
まだ派遣の仕事に変わりがなく、東京まで気負いなく出かけられた2月初旬には、ファンイベントにも参加した。前田さんに直接「応援しています」と想いを伝えることができた。思い返せば、すべてがギリギリのタイミングだった。本当にあのとき勇気を出して東京に行ってよかった。

今でもあの日を思い返すと、心がふわーっと浮き上がる。不安な現実の中でも、幸せな記憶を頭の中で広げれば、確かにあのとき素晴らしい時間があったのだと、過去の自分の幸福に少しだけ安堵することができる。
hagornmo1367.hatenablog.com
次に、映画。今年は映画やお芝居など、劇場で鑑賞する機会が例年より減った人がほとんどだったと思う。
これも私には必要なもの……だった筈だが、映画が好きな私も、劇場から足は遠のいた。
ここでも私は、「本当に観たい作品はどれか」とたくさんの映画をふるいにかけた。不特定多数の人が出入りする場所に頻繁に通うのは……という心配も理由の一つだったが、一番の大きな理由はお金だった。金銭面を考えると、もう週に何本もの映画を観に行くことは難しかった。
脚本、監督、出演者、Twitterでフォロワーさんたちの前評判をチェックして、そこから絞って絞って絞った作品だけを、サービーズデーの割引を使って鑑賞した。

今年はあまりたくさんの映画を観ることはできなかったけど、中でも特に好きだったのは、『ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋』『初恋』『ハスラーズ』『ワンダーウォール 劇場版』『私がモテてどうすんだ』『星の子』『スパイの妻』『ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから』。
今年のうちに、『燃ゆる女の肖像』『私をくいとめて』は観たいと思っている。

次に、本。小さい頃から読書が大好きだった。図書館と本屋には何時間でもいられるし、本の背表紙を撫でているだけで気分が落ち着く。
これも私の人生には欠かせないものだったが、本すらも「でも本当に必要なものなの?」とふるいの対象になった。今年一番我慢したものは本かもしれない。
買うなら文庫本。できれば上下巻に分かれていないやつ。新作の単行本も欲しいけど、1800円に消費税……約2時間分の時給だと考えるとなかなか決心がつかなかった。

そんな中でも、今年読めてよかったなと思った本は、津村記久子『これからお祈りに行きます』『ポースケ』、ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー『その名を暴け:♯MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』(これは誕生日に友人がプレゼントしてくれた)。

他にも、「本当に必要?」と我慢したものはたくさんある。

一目惚れしたアイシャドウ、友達との2軒目の食事、古くなった枕を買い換えること、古着屋ではないお店で洋服を買うこと(古着自体は大好き)、試し読みして続きが気になった漫画、通勤用の新しいスニーカー。色々なものを、「絶対に無ければ(しなければ)困るものじゃないし」と見送った。

クレジットカードの利用額が前月より減ると、ホッと胸を撫で下ろした。高いものは買えないけどたまにコスメも買うし、なんやかんや映画も観れてるし、衣食住以外に使えるお金が少しはあるんだから(衣食住もこの先どうなるか怪しいけど)恵まれてる方だよ。そう自分を納得させて、"日々のささやかな幸せ"を感じようとしていた。

でもふと、「本当に?」と思った。

このアドベントを書くために自分の一年を振り返ってみたとき、なだれ込んできた感情はやるせなさだった。

ほんとは、活動休止前の嵐のグッズを、表紙を飾っているいくつもの雑誌を、山ほど買いたかった。

映画だって本だって、もっと色んな作品を観たかったし、読みたかった。「本当にお金を払う価値がある作品か」なんて損得勘定の目で好きなものを見たくなかった。大好きな映画を観ている時でも、頭の片隅で「来月の支払いどうしよう」と考えている自分が嫌だった。

友達から、「ごめん!このあと予定があって……」と食後の2軒目のカフェに誘われなかったとき、少しホッとした。でも本当はホッとしたくなんてなかった。

ふらっと入ったお店で衝動買いがしたい。漫画を気まぐれにジャケ買いしたい。

「本当に必要なものだけ」を選んでいく生活はとても苦しかったのだと、今さらになって気がついた。

私は今、正社員を目指して転職活動をしている。この記事を書いているちょうど今日、久しぶりに書類選考が通って、今度面接がある。
不安と焦りでいっぱいだけど、同時に「自分が自由に使えるお金を増やす」という確固たる目標ができた。「本当に必要なもの」だけじゃ嫌だ。私は無駄なものが欲しい。やってやる。夢は夏と冬にボーナスを貰うことだ。

来年はどんな年になるんだろう。
心の拠り所だった嵐は、新年を迎えると同時にいなくなる。私は彼らが今まで見せてくれた景色を胸に、何とかやっていくしかない。最後に直接顔を見て、「今までありがとう」と伝えられなかったことだけが心残りだ。

願わくば家族が健康で、転職活動が上手くいって、今年泣く泣く買い逃した嵐のグッズを集めて、ちょっと気になる映画を観て、たまには単行本の小説を買って、少額でも寄付をして、憧れのPAT McGRATH LABSのアイシャドウを塗って、友達との2軒目3軒目の食事にも自分から気軽に誘えて…………来年はそんな生活ができたらいいなと思っている。
頑張っていこうと、思っている。


クリスマスのアドベントにこういう話はどうなのかな……と悩みましたが、もし同じような不安を抱えている方がいたら、と思って書かせてもらいました。
みなさん、良いクリスマスと良いお年を!来年も私たちなんとか生きていきましょう。

そして、轟洋介にも幸あれ。来年こそ元気な姿を見ることができるのでしょうか。常に轟洋介のことを気にかけています。

最後に。はとさん、今年も素敵な催しをありがとうございます。明日のアドベント担当はおがわさん、黒あんずさん、ほのかさんです!
カレンダー2 同日担当:FIGAROさん
カレンダー3 同日担当:じゅごんさん
(↓昨年のぽっぽアドベント参加記事)
hagornmo1367.hatenablog.com

「絶対にハマらない」と思っていたものにハマった話(ハイローとプリレジェ論)

アドベントカレンダー企画『私が動かされたもの Advent Calendar 2019』に参加しています。12月17日、17日目の担当です。
https://adventar.org/calendars/4375
主催:はと🕊 (@810ibara) / Twitter


2019年、「絶対にハマらない」と思っていたものにハマった。ハイローことHiGH&LOWだ。

約1ヶ月前、ハイローファンの友人の勧めでハイローシリーズの最新作『HiGH&LOW THE WORST』(通称ザワ)を観賞して見事にハイローに心臓を持っていかれた混乱と感動の記録は、別記事にて長々と綴っている。
hagornmo1367.hatenablog.com
そこから夢中になってハイローシリーズを追いかけた。『HiGH&LOW THE MOVIE』『HiGH&LOW THE MOVIE 2/END OF SKY』『HiGH&LOW THE MOVIE 3/FINAL MISSION』の映画3部作を3日で一気に観て(番外編にあたる『HiGH&LOW THE RED RAIN』は現時点で未見)ザワの前日譚を描くドラマ『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.0』も一夜で完走した。
次は映画3部作の前に放送されていたドラマシリーズに取りかかろうとしたところで、私は『PRINCE OF LEGEND』(通称プリレジェ)という新たなコンテンツにどハマリしてしまった。

プリレジェは、ハイローシリーズと同じ制作チームが手掛ける「プリンスバトルプロジェクト」の一環で、14人の個性豊かな王子たちが「伝説の王子」を目指して争いを繰り広げる、メディアミックスプロジェクトである。コンセプトは、「王子が大渋滞」

もはや視覚の暴力。

「プリレジェ」という言葉と概念を初めて知った方は、前述の説明では少しも意味が理解できないと思います。私もいまだ会得の途上です。
ざっくり説明をすると、LDHがハイローに続いてしかし一線を画して、少女漫画的な胸キュン全振りコンテンツを世に送りだした、ということ。

2018年からドラマ版の放送がスタートし、ドラマの続きを描く劇場版が今年の3月に公開。
配信サイト(hulu)のあらすじを引用しようとしましたが、全く意味がわからない上にストーリー説明を放棄していたので、まあその気持ちもわかる……と理解を示して勝手ながら私が紹介をさせてもらうと、

正統派王子系、メガネ男子、ヤンキー系、年下系、生徒会長、先生、チャラ男系etc……14人の様々なタイプの王子が主人公・成瀬果音にそれぞれの想いを寄せ、同時に王子中の王子に与えられる「伝説の王子」の称号を巡って争う物語である────。説明できたかな。

構造としては、少女漫画と乙女ゲームを10:10の割合で魔融合させて、そのジャンル性を極限まで大げさに過剰化したメタ性のあるつくりになっています。

そしてこれは自社制作コンテンツの大きな強みの一つですが、プリレジェに出演している王子14人のうち7人はハイローシリーズにも出演しています(ハイローと同じ世界軸かどうかは未だ明言されていない)。
私がプリレジェに手を出したきっかけも正にこれ。「ハイローのキャストが出てるんならちょっと覗いてみようかな」……から見事にハマりました。LDHはコンテンツからコンテンツへの誘導が本当に上手い。

しかし単にキャストが被っている、という理由だけではここまでプリレジェに脳内を占拠されたりはしない(私自身が昔から少女漫画や乙女ゲーにどっぷり漬かってきたので、素地は充分にあった)。
旅行先のホテルに一日籠もって友人にプリレジェを鑑賞プレゼンしたり、過去の関連雑誌を取り寄せてたりしている私は、一体プリレジェのどこにそれほどまで惹かれたのか。

正直、プリレジェというコンテンツを真正面から称賛することは難しい。
あらすじを読んでもらえれば分かるが、これは「男たちが一人の女性を巡って争う」物語である。(いつの世も、ということは前提で)2019年において、この設定はあまりに危険だ。
大昔からあらゆる創作物で繰り返し表現されてきた、もはや古典的とも言えるお約束のストーリーだが、そもそも意志のある一人の人間を"取り合う"という行為は相手を"モノ化"する、とても身勝手で暴力性のある行為だからだ。

劇中、王子たちは何度も「彼女は渡さない」「彼女は僕のものです」と口にする。「誰にも興味はありません」と王子たちからの求愛を拒否する果音の意志はそっちのけで、王子たちは彼女を巡って火花を散らす。
しかし、プリレジェはここで「複数の相手から好意を寄せられるなんて、誰を選べばいいのか困っちゃう」というヒロインの心理描写ではなく(そもそも果音にそんな思いは微塵もない)「なぜ王子たちは、揃いも揃って果音に好意を寄せるのか」と王子サイドの問題を掘り下げてみせる。
これによって、こういった"胸キュン"を題材にしたコンテンツでは非常に珍しい、あるモノが指摘され暴かれる。王子たちの強いホモソーシャルだ。

ホモソーシャル」とは男性同士の結び付きや“男の絆”を意味する言葉だが、プリレジェでは王子たちのホモソーシャルを、強く批判的に描きはしないものの、繰り返し"良くないもの"として居心地悪く指摘していく。

例えば、果音に迫る生徒会長の綾小路は実のところ彼女本人には興味がなく、強くライバル視している相手である朱雀奏が果音に好意を寄せているため、奏への対抗心から果音に近づく。
そして、果音はそんな綾小路の本心を見抜き、「朱雀奏が私のことを好きだと思っているから、あなたは私をモノにしたい。違いますか」と、「私をトロフィー扱いしているだろう」と綾小路本人ですら自覚していなかった深層心理を突きつけるのだ。

プリレジェ劇場版の中で、象徴的なシーンがある。
王子たちが果音を取り囲み、口々に「絶対負けないから」「君のために頑張ります」「幸せにするからね」と宣言していく。しかしそれは果音に向けてというよりは、果音を通して争う男たちへの宣戦布告の体を成している。
王子たちが言い争いをしている間、ポツンと取り残される果音。そこに、王子たちの中でただ一人、そんな現状を指摘してみせるヤンキー王子こと京極竜が近づく。「あんた、当事者なのに忘れられがちだよな」。それに対して果音は「私は、ゲームのおまけみたいなものなので」と返す。

「正々堂々と勝負しましょう」と、まるで競技大会の前夜祭のように熱い宣誓を交わして盛り上がる王子たちの輪が真上のアングルから撮られ、その輪の中にも周辺にも果音の姿はどこにもない。
王子たちはそのことに気づくことなく、「お前もやるじゃん」「いやお前こそ」と言わんばかりに爛々と視線を交わし、満足げに立ち去っていく。
王子たちにとって果音は、男同士の絆を深め、かつ勝ち取ることによって「自分たちの中の一番」を決めることができるトロフィー的存在なのだ。


プリレジェは、男同士の争いと絆を深めるために果音を利用するホモソーシャルの他に、もう一つ王子たちの問題点を指摘する。果音に対する神聖化だ。

当初、数人の王子たちは果音に多大な理想を抱いて近づいてくる。果音の意図しないところで果音の言動が理想化され、意味付けされ、勘違いされていく。
しかし、果音のことを当初は「プリンセス」「天使」と崇めておきながら、いざ彼女の本性が自分の理想からかけ離れているとわかると(果音は現実志向で性格もふてぶてしい)、王子たちは「性格が悪い」「失望した」と果音を責め始める。

蔑むことと同じく、他人を勝手に崇めて理想化し神聖な存在に持ち上げることも、相手の人格を否定する行為だ。
そして、そんなきっかけで芽生えた感情はたいてい簡単に掌を返され、自分の理想と違ったとわかるやいなや、「裏切られた」と相手を攻撃する。果音はそんな王子たちの襟首を引っ掴んで、毎度こう言ってのけるのだ。

「男の妄想、押しつけるのやめてもらえます?」


こうして、「ホモソーシャル」「女性への理想や幻想の押し付け」「トロフィー問題」などに斬り込んで見せたとはいえ、正直プリレジェにはまだまだ「それは駄目だろ!」と突っ込みたくなる箇所は山ほどある。
まずもって同意のないキスが描かれるし、ホモソーシャルと神聖化へのツッコミも全然ゆるいし、他にもルッキズムの描写があったりと、喉に通すと骨が刺さりまくる(ただ、同意のないキスに関しては後に出演者がインタビューで否定的に発言していて、僅かながら希望はある)。

一方で、ハイローでも顕著だったようにLDHは大人と子供の線引きがハッキリしているので、少女漫画や乙女ゲームに欠かせない(個人的には不要だと思う)教師枠のキャラクター描写はひと工夫されている。
先生王子こと結城理一は自分が一番大好きな自己愛MAXの人間で、実は果音には恋愛的な興味が毛ほどもない。ただただ「伝説の王子」という称号を欲しているだけで、逆に「他の王子たちはみんな果音に夢中なのに自分だけは彼女に全く惹かれない!なぜだ!」と苦悩するほどだ。徹頭徹尾、果音への恋愛的な接触は無し。未成年と教師という倫理的問題点が、突飛なひねりによって意外と守られている。

もう一人、果音のことを中学生の頃から見守っている隣人のチャラ男系美容師王子も登場するが、こちらも成人男性ということで、果音への感情は妹に向ける家族愛として描かれていた。


ここまでプリレジェについて語ってきましたが、肌に合う合わないがかなりハッキリ別れる作品だと思います。
私がここまでプリレジェにハマった理由は、少女漫画や乙女ゲーム的なものを愛する気持ちと、こうして長々と考察的なことを書ける批評性の高さにあるのだろうと思います。良くも悪くも、プリレジェは誰かに何かを語りたくなる作品なのです。
realsound.jp(こちらのプリレジェに対する評論対談、かなり面白いです)

ただ、プリレジェはホモソーシャルなどの問題点を指摘してみせる一方で、前述したように旧来の価値観を踏襲している点も多くあります。
そのバランスの悪さ故に、制作側がどれだけ意識的に問題に斬り込もうとしているのか、果たしてそれは自覚的なものなのかどうか掴めないところがあり、怖さというか少々の不安はある。
しかし、少女漫画や乙女ゲーム的なものを最大限に提供しながらも、同時にその中でジャンルの"お約束"を否定してみせる斬新な作品だということは確かです。

最後にもう一つ、プリレジェには久遠誠一郎というキャラクターが登場します。

彼は、正統派セレブ系王子こと朱雀奏の幼馴染兼第一側近で、奏に恋愛感情を寄せています。(同性への恋愛感情がしっかりと作中で明言され、かつ殊更に言及するでも茶化すでもなくサラリと描いていた点が良かった)
そんな彼が、常に奏の様子を気にかけこっそり横目で窺う姿、感情を抑えきれずに揺れる瞳や表情など、すべてに「誠一郎ぉぉぉ!!!!!!」と拳を振り上げていました。愛する人の幸せを願う誠一郎の笑顔は、とても美しかった。誠一郎に幸あれ。

ちなみに誠一郎を演じた塩野瑛久さんは、ザワで界隈をぶち上げまくった小田島有剣です。

(あと、プリレジェのアプリゲーム『PRINCE OF LEGEND LOVE ROYALE』はかなり良質な乙女ゲームなので、普通にオススメです。機能性高いしシナリオも上手くてビビる)


今年は、「絶対にハマらない」と思っていたものにバカスカとハマった年でした。ジャニーズJrしかりハイローしかり。

「あっ、あのときは全然意識してなかったけどこのMステにバックで出てたんだ」とか、「えっ、ハイロー村山役の山田裕貴くんって前にVS嵐にゲストで来てたじゃん!観返す!」とか、EXILEは三代目までしか分からなかったのにRAMPAGEやGENERATIONSの顔と名前が一致するようになったり。
何か新しいものを好きになると、現在も、過去の記憶にすらも、今まで意識していなかった物事や人物が突然くっきりと姿形を現すようになります。それは世界の解像度が上がる、とても楽しいことです。

情熱が常識を追い抜く瞬間が、何より大好きです。ハイローもプリレジェも、それを体現してくれました。私は動かされました。
来年も新たな出会いや楽しみが、そして私を動かす何かがありますように。素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございます。皆さん、メリークリスマス&よいお年を。

本当に最後の最後に、私が今年出逢ってしまった最高の推しをご紹介します。轟洋介です(中央眼帯)。

轟を演じている前田公輝さんにもすっかり転げ落ちてしまい、来年の舞台のチケットを取ってしまいました。実は、誰か特定の俳優さんのファンになったのは人生初めてで、目に映るすべてのことがメッセージというか日々勝手が分からず右往左往しています。幸せな悩みです。

『HiGH&LOW THE WORST』は、あなたの日常をぶっ壊してくれる(ネタバレ)

みなさんは「ハイロー」という言葉を聞いたことがありますか?

ハイローとは「HiGH&LOW」の略称で、EXILE HIROが企画・プロデュース手がける、2015年からスタートした一大総絵巻メディアミックスプロジェクトです。
映画・ドラマ・漫画など様々な媒体で展開されているハイロープロジェクト。最新作は今年の10月に公開された、漫画『クローズ』シリーズとコラボした映画『HiGH&LOW THE WORST』

これ以降、『HiGH&LOW THE WORST』のことは通称である"ザワ"と呼びます。
ちなみに映画第1弾『HiGH&LOW THE MOVIE』はザム、映画第2弾『HiGH&LOW THE MOVIE2 / END OF SKY』はエンスカ、ハイローのテーマ曲を披露し、その世界観までも再現したLDHによるライブ公演『HiGH&LOW THE LIVE』はザラ、そして最近配信されたソーシャルゲーム『HiGH&LOW THE GAME ANOTHER WORLD』はザゲです。ザム、ザラ、ザゲ、ザワ……ダイナミックな略称にファンダムの個性が光ります。

ここ数年、Twitterの友人たちが次々と「SWORDの祭りは達磨通せやぁ!」「ムゲン……」「どうしちまったんだよ琥珀さぁん!」などと取り憑かれたかのように叫ぶ姿を目の当たりにしてきました(ちなみにこの言葉の意味は未だに全くわかりません)さながらゾンビ映画パンデミックのように広がるハイロー熱。
虚ろな瞳で「観ればわかるんだよ…ほらとにかく観て…」と手招きしてくる友人たちを横目に、私は私でジャニオタ活動で忙しいしとてもじゃないけどEXILE系列にまで手は出せないな…それにジャニ好きだしちょっと好みと違うかも…なんて言って距離を取っていました。そう、表向きは。

ザワを観た今、気づきました。私、本当は怖かっただけなんじゃないかと。
EXILE THE SECONDやRAMPAGEの曲を聴きながら気分はスキンヘッドで拳を突き上げたり、上映終了5秒で出演者のアカウントフォローしてパトロールしたり、YouTubeの履歴がハイローで埋まっていく……そんな未知の世界に踏み込む未来を、恐れてただけなんじゃないかって。
でも、もう恐れる必要はありません。私の心は常に轟洋介と共にあります(推しです)(LDH所属ではありません)

あらすじ
SWORD地区の「漆黒の凶悪高校」鬼邪高校は定時制の番長・村山良樹が鬼邪高の頭を張っていた。鬼邪高の全日制に転入した花岡楓士雄は、いつの日か村山にタイマン勝負を挑むべく、全日制の天下をとる野望を抱いていた。均衡が保たれていた鬼邪高全日制だったが、その均衡は崩れ去り、各派が覇権を競い合う一大戦国時代を迎えていた。
一方、SWORD地区の隣町・戸亜留市では、リーダーの上田佐智雄を筆頭に過去最強と名高い新世代の鳳仙学園が勢力を強めていた。そんな中、鳳仙の生徒が鬼邪高を名乗る者たちから襲撃され、鬼邪高の生徒も鳳仙を名乗る者たちに襲われる事件が発生する。一連の襲撃事件を契機に互いに敵対心を抱いた鬼邪高と鳳仙が次第に殺気立っていく……(映画.com)

意味がわかりましたか?わからないですよね。大丈夫、ザワは観る映画ではなく"体感"する映画です。ザワに近づこうという意志さえあれば、自ずと心は開かれていきます。
まず、ハイロー世界には「常識的にはこうだよね」という俗世間のクソみたいな一般論や常識ルールなど存在しません。1に拳、2に友情、3、4がなくて5に拳です。この文脈を理解しておけば、ハイローへの理解度と没入度はグッと高まります。

ここまでさも知ったような口を叩いてきましたが、私はつい先日までハイローを"観ていない"側の人間でした。映画もドラマも何一つ鑑賞した経験はなく、情報源は友人との会話のみ。
そんなミリしら一歩手前レベルの人間でも、ザワを体感することは可能なのです。何なら私はあらすじすら調べずに映画館へ向かいました。なぜなら頼もしいハイローのオタクたちから「ストーリーとか気にしなくていいよ。事前の予習でドラマや映画を見てもよくわからないよ。私も未だに話がわからない。何なら台詞も聞き取れない。でもそれでいいんだよ」と熱い言葉を頂戴したからです。

しかし、ハイロー若葉マークである私はハイロー文脈を読み取る力と知識がまだまだ不足しています。ザワを観ている間、恥ずかしながら大小合わせて50以上の疑問が脳内を通り過ぎていきました。
ここではハイロー初心者の私がザワにぶっ壊された思考を整理しながら、どうしても頭に引っかかったポイントを感想と共に綴っていきたいと思います。

1.ハイロー世界における、曲がったきゅうり
きゅうりって美味しいですよね。でも、曲がったきゅうりはもっと美味しい───それを教えてくれたのは、今作の主人公である楓士雄(ふじお)とその幼馴染たちです。
幼馴染6人は同じ団地で生まれ育った仲間でしたが、それぞれが成長するにつれ疎遠に。お互いが高校生になり、みんなの思い出の場所兼溜まり場だった駄菓子屋の店主・サダばぁの葬式をきっかけに、久しぶりの再会を果たします。
その再会の場で「俺たちの思い出の味といえば……やっぱこれだよな」とおもむろにテーブルの上に置かれたものが、曲がったきゅうり。

「これこれ〜!やっぱこの味だよね〜!」盛り上がる幼馴染6人から引き離されて、私の意識は急激に宇宙の果てまで遠のいていきます。
なぜ?????
どうしてきゅうりなの?????
しかも曲がったきゅうりなの????
私がハイロー初心者だから……だから理解できないだけなの?私が知らないだけでハイローの世界では曲がったきゅうりは信仰の対象なの?ステーキのポジショニングなの?重要な存在なの?

きゃっきゃと盛り上がる幼馴染たちから光の速さで置いてけぼりをくらう私。
「絶対○○ちゃんも仲良くなれるから一緒に来なよ〜!」と言われた友達の友達グループに混ざったはいいものの、懐かしい給食の話や先生の話に加われない……そんな疎外感。

ハイローの先輩たちに「ハイローの世界ではきゅうりは重要なアイテムなんですか?」と後ほど確認したところ「いいえ。今作で初めて登場しました。私たちも意味がわかりません」との回答が返ってきました。だったら私に理解できる筈ないですね。キューカンバー解散!
ちなみに、応援上映ではこのきゅうりの場面で客席のペンライトが全面緑色に染まるらしいです。ハイローのオタクたちは、どうしてそんなにも適応能力が高いのでしょうか。

そしてこの曲がったきゅうり、実は物語の終盤で大きな伏線となって回収されます。曲がったきゅうりが伏線になるなんて誰が想像するかよ。

2.絶望団地とは
幼馴染6人が共に育った場所は団地だと先述しましたが、この団地は俗に"絶望団地"と呼ばれています。絶望団地には「殺人棟」「幽霊棟」「放火棟」「首吊り棟」など様々な名称の棟が存在し、貧困層が多く治安の悪い絶望団地では棟ごとに派閥が生まれ、犯罪が常態化しています。
ちょっと脳が追いつきませんよね?大丈夫、私もです。一体どの棟が一番治安が悪いのか字面からは想像もできない全て一人勝ち状態なのですが、もしも組分け帽で振り分けられるのなら多少マシそうなのは幽霊棟でしょうか。

この団地は鬼邪高の隣町にあるマンモス団地なため、後々主人公が鬼邪高に転入した際も「えっ!お前あの団地出身?!俺は殺人棟の○○!」などと秒で打ち解け合います。「お前どこ中?」みたいなもんです。会話のフックが深すぎる。

絶望団地の元々の正式名称はなんと「希望ヶ丘団地」なのですが、団地のアーチゲートは『WELCOME TO HOPE HILL』の文字が抜群の間隔で剥がれ落ち、『WELCOME TO HELL』になっています。これ思いついた瞬間、絶対に制作陣盛り上がったでしょ。わかるよ。

つらい子供時代を過ごした6人に温かく接してくれたサダばぁは、友情の証としてお揃いのペンダントを全員に渡してくれます。
そのペンダントは幼馴染たちの絆を象徴する大切なアイテムなのですが、木彫りのネームプレートに「天」「地」「人」「鬼」等がゴリゴリの書体で彫られたこだわりの一品。
そう、まさかの六道輪廻です。幼い子どもたちに六道を授けるサダばぁ、荒廃地区で長年商売を営んできただけあってただ者ではない。さすがはハイロー界のサラ・コナー。

3.なぜ未成年も通う私立高校が、メキシコの凶悪刑務所になるのか
少し前に「ハイロー世界には一般論や常識など存在しない」と書きましたが、その好例が鬼邪高です。

鬼邪高は昼間の全日制、夜間の定時制の二つからなる高校。定時制に通う生徒は五留で一流、成人済みの生徒が多く、ヤクザのスカウト待ちをしている所謂"ヤクザ予備軍"です。学校の頭、つまりトップになる為には「100発の拳を受けて耐え抜く」という武蔵坊弁慶並みの荒行を求められます(ここまで何言ってんだろう?)

鬼邪高での「卒業」は「退学」と同義語であり、「俺、卒業するわ」≒「退学」です。これは各々が将来の道を定めた際に自発的に適用されます。校長室に「あばよ」とでも書いて名前も添えれば手続き完了です。「卒業≒退学」退学自体をマイナスと捉えない前向きなシステムですね。

校門には有刺鉄線が張り巡らされ、落書きされていない壁は存在せず、辺り一面ゴミだらけの荒廃地帯。もはや机と椅子は本来の用途をなさず現代芸術のようにうず高く積み上げられ、教師の姿は影すら見えず、派閥同士の乱闘で治安の尖りっぷりは最高潮。
「メキシコカルテルがぶち込まれる刑務所か?」と見紛うほどの激烈ハードなハイスクールを目の当たりにし、はたしてこの世界に教育委員会は存在しているのか?と途方もない疑問が浮かんでは消え、なぜか徐々に頭の奥が痛くなってきます。

言い忘れていましたがそもそもハイロー世界は現実の日本が舞台ではなく、日本によく似たパラレルワールドが舞台です(恐らく)劇中で登場人物が「リトルアジアが〜」と口にしていましたが、一体そこがどの地域を指すのか私にはわかりません。
ハイローの先輩に「ハイロー世界は現実の日本ならどの当りがモデルなんでしょう」と尋ねると、「千葉辺りじゃない?」と返されました。千葉だそうです。(神奈川説もあり)

4.三権分立は機能しているのか
していません。

上記でも述べたように、ハイロー世界は現実の日本ではありません。そんな世界に対して、やれ三権分立だの教育機関だの司法行政だのと気にする私は本当にミジンコです。
ただ、本作では登場しませんが警察組織は存在するそうです。あと悪漢に鉄パイプでボコ殴りにされた仲間を見て「救急車ーーー!!!!」と絶叫していたので、医療機関も辛うじて存在する模様です。ICUと眼科の存在も確認済み。安心しました。

5.ハイローにおける小沢仁志の存在
今作には、あの小沢仁志が建設会社の親分役としてゲスト出演しています。小沢仁志は自らの身を持ってビーバップハイスクールの世界にマジもんの風を吹き込み、そしてその名でもハイロー世界を席巻します。
鬼邪高と対立する鳳仙学園には最強の四天王が存在します。そして彼ら4人はその強さから、ある総称で呼ばれ恐れられています。彼らの名前は、小田島、沢村、仁川、志田……………………もうお気づきになりましたか?それぞれの頭文字を取り、彼らはこう呼ばれています。「小沢仁志」と。

私が一番感動したのはこの斬新すぎる角度からの小沢仁志リスペクトではなく、その話を主人公たち含む数十名の鬼邪高生徒が聞いている間、誰一人として笑わず茶化さなかったことです。
私なら耐えきれず「なんですか?それ(笑)」と軟弱な口を開いてしまいます。でも彼らは違うんです。物凄く真剣に聞いてるんです。物凄く真剣に「小沢……仁志…だと…(ゴクリ)」ってなってるんです。このピュアネスさが現代には必要だと感じました。

6.トラックと脚立は、膠着状態の場面を切り開くマストアイテム
膠着状態の切羽詰まった状況の中、その場面を切り開くために必要なものはなんでしょうか。そう、ダンプカーです。

物語では同じ手段を用いた劇的な場面の繰り返しは基本的に避けられるものですが、ザワでは劇中、ダンプカーが2回突っ込んできます。
鬼邪高生にとってのダンプカーはビリー・アイリッシュの三輪車なので、乱闘中の生徒やバリケードに突っ込むくらいで大騒ぎすることではないのです。

そして、今作の裏主役と言っても過言ではない存在が────脚立です。
劇中一番の見せ場であり大興奮鳥肌ポイント、脚立界とアクション界に流れ込んだ革新的な風。終盤、絶望団地戦での大乱闘で脚立がもうめっっっちゃくちゃに大活躍するのです。え?!そんな使い方で?!この状況を打破できる?!?まさか!!!!と目玉が引っくり返ります。到底常人では思いつかないアクション技、天才です。
これは言葉では上手く説明できないし、言葉で語ることによって感動が損なわれてしまう気がするので、ぜひ実際に歴史が動く瞬間を目撃してほしい。

あと、ハイロー世界では石投げの技能も大切なアドバンテージになります。ある場面で「そう言えばあいつ石投げ上手かったよな……」という伏線が回収されます。こちらも鳥肌ポイントです。
そして単純に石投げが上手くて遠くの缶ジュースとか倒せると「お前すっげーーー!!!」と目をキラキラさせてリスペクトされます。

ハイローを見ている時って、基本的に脳が二層構造になってるんですよね。
イメージとしては、飲み物とか化粧品とか、二層になってるものってあるじゃないですか。よく振ってお使いくださいみたいな。正にそれなんです。
「おかしいよね?」と「でもこれがハイロー」という理性と本能が二層構造になって、いくら抵抗してみたところでHIROのブレインシェイクからは逃れられないんです。ひとたびシェイクされれば終わり。

7.絶望団地、希望の星が放つ「きゅうり説法」
6人の幼馴染たちは就職、進学などそれぞれの進路に進みましたが、中には有名な進学校に通い学年成績トップ、将来はどこの大学だって狙える!と教師に言わしめる絶望団地希望の星・誠司がいます。
誠司はとっても頭が良くて理性的で、穏やかな性格。麻薬組織の元で働くかつての幼馴染のことを常に気にかける、優しい少年です。

ある日、同級生たちが「鬼邪高の奴らってマジでクズだよなww」「ゴミだわww」と嘲笑する姿を目にし、彼は耐えきれず同級生たちの元へ………友達が馬鹿にされたらそりゃ言い返したくもなるよね!わかる!わかるよ!!
うんうんと誠司の肩に手を置こうとしたのも束の間、「そういうこと言うのやめろよ」という牽制の言葉も一切の躊躇もなく、速攻でおもっくそ重い拳を叩き込む誠司。

……………………………………………誠司???

忘れてた。そうだここはハイロー。ダチの悪口言われて何もしないなんて人間じゃねぇ、というハイローのストロング価値観を誠司だけが有してないなんてそんな馬鹿なことあるわけなかった。
 
もちろん、誠司はそのまま生徒指導室へ。
「どうしてこんなことしたんだ!お前ならどこの大学でもすすめるんだ!大事な時期なんだぞ!」ごもっともな教師の言葉を殊勝に聞く誠司。しかし教師の「それにお前……鬼邪高の奴らとも関わってるらしいじゃないか。あんな奴らとつるむのはやめなさい」という言葉に、誠司より先に私の脳内にやめておけ教師!!!!と警告音が鳴り響く。
制止も虚しく、誠司の瞳にギラリと暗い光が灯ります。

「先生………スーパーに並んでるきゅうりって、どれもこれも見事にまっすぐですよね……」

………………………………………………………誠司???

「きゅうりって、自然に育つと曲がるものなんですよ。つまり、スーパーに並んであるきゅうりは、無理やりまっすぐに矯正させられてるんです」

……………………………………………………誠司???

「彼らは、ただそのまま自然にまっすぐ育っただけなんですよ!!!!!!!僕は彼らが時々羨ましくなります!!!!!…………でもね!!!僕は一生懸命頑張って、スーパーの一番いい場所に並ぶまっすぐなきゅうりになって見せますよ!!!!彼らのためにも!!!!」

まさか…………………………この為の曲がったきゅうりだったの????


誠司のきゅうり説法、感動するか狂気かの二者択一だと思うんですが、私の意識は"狂気"に全振りしたまま心がなかなか元の場所に戻ってきませんでした。
私が生活指導教師なら、目をかけてた優等生が突然曲がったきゅうりの話を血走った目で捲し立ててきたら間違いなくちびっちゃうね。もう怖くてお盆のきゅうりは来年から見れないよ。

誠司は教師の偏見を否定しつつも、「でも、僕は立派なまっすぐのきゅうりになってみせます」と力強く宣言します。
恐らく誠司は彼等のためにも、この先(世間的に)立派な大学に入って立派な仕事に就くのだと思う。そしていつか、それを故郷に還元する筈です。貧困と暴力は密接に繋がり連鎖する。その連鎖から抜け出す手立てを自分は持っている。誠司はそれをわかっているからこそ、「まっすぐなきゅうりになる」のだろうなと。

轟洋介について

私の最推しです。まずビジュアル。最高です。制服魔改造か自主的私服登校の生徒が殆どの中、規定の学ランと白シャツ制服をきっちりと着こなす姿。黒髪、眼鏡。しかしそんな生真面目な姿と相反するように、左耳にキラリと光る銀色のピアス。最高ですね。

彼は過去に不良たちから執拗な恐喝を受け、それをきっかけに不良を激しく憎むようになります。壮絶なトレーニングを重ねた努力の末、圧倒的な力を身に着けました。
不良狩りに勤しみ、狩った相手の写真を撮ってコレクションしています。全国から札付きの不良が集まる鬼邪高を掌握すれば、実質的に不良の全国制覇だと考え、わざわざ鬼邪高に転校してくる執念の持ち主。

定時制番長にして鬼邪高トップの村山にタイマンを挑みますが、敗北。しかし最強の村山にはあと一歩敵わないもののその強さは本物で、全日制は彼が掌握しています。
見た目通り、成績も優秀でひとり静かに『君主論』を読むタイプの轟くん。頭もよくて喧嘩も強い………そんな轟に唯一足りないものは………人望です。
轟くん、ザワ劇中で「あいつが強いのはわかるけど、あいつの下にだけは付きたくない」と強さが一番の指標であるハイロー世界においても、その強さを認められた上で拒絶される性格なのです。おかげで全日制トップにも関わらず、轟一派と呼ばれる人員構成は轟含めてわずか3人。

ザワでは轟もマイルドになってきたのか目についた範囲ではそこまで性格の難も感じられず、ザワ入りの私は轟くんが「友達いない」「人望ない」と言われる度にホロリと静かに涙を流していました。かわいそうだよお!!!!(いやわかるよ。トップの器的なことでしょ。痛いほどわかるよ)

でもね、そんな轟くんにも2人の仲間がいるんです。轟が転校してくるまで全日制トップだった、芝と辻です。

二人は転校してきた轟に倒され、それ以来轟の実力を認めて行動を共にしています。ちなみに彼らの根城は放送室です。防音きいてる一番綺麗そうな部屋を確保してる辺りに轟一派の全日での立ち位置がうかがえて、思わず目を細めてしまいます。
轟一派ver予告編
https://youtu.be/kg2v17b6fZo
よくない?めちゃくちゃよくない?あんだけ人望ないって言われてる男にずっと付いてる辻芝コンビとこの3人、めちゃくちゃよくない?良さ感じるよね?

ザワ限定の眼帯姿にも震えが走ります。

ここまで長々とザワについて語ってきましたが、最後に大事なことを。
ハイローは、とにかく何よりアクションが最っっっっ高なんです。うわっ痛そう!って目をつむりたくなるアクションじゃなくて、本当にひたすら気持ちいい。こちらの期待を一切裏切らない、音の拍にパンパンはまっていく感覚。見ていて本当にストレスなく気持ちいい。
ガチで体を動かすことができる面子ばかり集めたらここまで壮観なのか、と惚れ惚れします。特に轟の流麗な飛び蹴り。そしてとにかく潤沢な資金に支えられたセットの作り込み、カメラワーク、圧巻の一言です。

あと、今作は脚本も凄くよかったんですよ。ハイロー伝説はチラチラと聞き及んでいたので一見さんお断りの凄い世界ではと不安でしたが、ザワは歴代の中でも一番脚本がしっかりしているらしく、その点でもストレスなく楽しめてめちゃくちゃ面白かったです。気になってる方は今がデビューの時だと、強く背中を押します。
アクションver予告編
https://youtu.be/WXel-GXdRag
鳳仙ver予告編
https://youtu.be/WXLXNs6XMKE
背中を押された結果↓


ここ最近、なんかモヤモヤする。ムシャクシャする。仕事で疲れた。なにかスッキリしたい。エンタメを観て鳥肌が立つ経験を久しくしてない。
そんな方、まだギリギリ上映延長している劇場もありますので、ぜひ気が向かれた際にはザワを摂取してみてください。私もこれからハイロー履修に勤しみたいと思っています。

ザワを観に行ったとき、隣の席には中学生の女の子二人組が座っていました。彼女たちは終盤の幼馴染の絆を感じる場面で、ボロボロと号泣していました。
そして、映画が終わり劇場内が明るくなると、はぁ〜〜っと満足の息を吐いて「なんかさぁ……ハイロー見たあとって、自分がちょっとだけ強くなった気になるよね」と言ったんです。ハイローの感想でこれ以上のものはないな、と私も勝手に心の中で賛同させて貰いました。

もう一年も残すところあと僅か。このままでは私の年間映画ベストの2トップは、『映画 少年たち』と『HiGH&LOW THE WORST』という前代未聞の事態になりそうです。
hagornmo1367.hatenablog.com

あなたの人生の物語『毒戦 BELIEVER』感想(ネタバレ)

韓国映画『毒戦 BELIEVER』を観た。

一緒に映画を観賞した母は、劇中でイカれた残虐クリスチャンを演じていた俳優チャ・スンウォンの大ファン。
既に公開初日に観賞済みという熱狂的ファンガールの母は2度目の観賞になるわけで、いくらか気持ちも落ち着いて……と思いきや、チャ・スンウォンが登場する度に胸に手を当て祈りを捧げていた。
(チャ・スンウォンが劇中で痛めつけられる度に「スンウォン氏になんてことを!私が守ってあげる!」と張り裂けそうな気持ちでいたらしいが、イカれ神父の所業を考えれば当然の報いではないか)

いきなり起承転結の結にあたる話をするが、ラストシークエンスに辿り着くまでは「いや〜〜ここ最近観た映画の中で一番面白いなぁ!」程度だった心の距離感が、『今までの人生で幸せだったことは?』というたった一行の台詞によって崩壊した。

オープンエンドが好きなわけでも嫌いなわけでもない。展開に心を揺さぶられたのではなく、あのウォノのたった一言「今までの人生で幸せだったことは?」という本当にたった一言と、ウォノを見据えるラクの瞳、魂を解放されたかのように寂しく壮大な雪原を見つめるウォノの姿に、心を引きずり倒されたのだ。あのラストでなけれは、私はここまで精神をかき乱されたりしなかった。

ラクは劇中、「僕は何者ですか?」とウォノに問いかける。
麻薬によって人生を狂わされたラクは、麻薬の世界から逃れるのではなく麻薬をコントロールする側に立つ。ウォノは面倒を見ていた未成年の少女をおとりとして巻き込み、結果的に死なせてしまう。まだ若い部下も亡くした。

イ先生という架空の悪魔を創り上げたラクと、実態のないイ先生を後戻りの道は見失ったとばかりに執着し追いかけるウォノ。
そしてある時ふと、「自分は一体、何者なのだ?」「そもそも何を追い求めていたのだ?」と気づき、愕然とする(けれどこの瞬間は、ラストのコテージで二人が再会した際に訪れた気がする)

ウォノとラクは、この人は信頼に値する人なのか、とお互いが疑心暗鬼になる。疑心暗鬼になるということは、心のどこかで相手を信じたいと思っているからではないか。
人の善性を見抜くことに(恐らく)長けているラクは、出会った当初からウォノに対して気遣うような、感情のこもった眼差しを向けている。ウォノの瞳にも、ラクの生い立ちを聞く度に同情の色が浮かび、ラクを気にかける自分への狼狽が見える。

ラクは感情の読めない人間だが、その瞬間瞬間の言動には嘘がない。濃度の強い危険な麻薬からウォノを守ろうとしたことも、銃撃戦のあとにウォノに手を差し出したことも、すべて本心からだろう。

ラクのウォノへと向ける視線が変わったな、と感じたのはウォノがホテルで一人二役を演じた時。ウォノがハリムに憑依したかの如く喋り始めた瞬間、ラクの瞳が輝いた……気がした。
王にはなれそうもないソンチャンがウォノと全く同じ行動を取り、ウォノは狂人ハリムの憑依に成功する。なんだか皮肉に感じたし、「自分を規定できない者たち」の姿がそこにあった。

ラスト以外にもうひとつ好きなのが塩工場の場面。だだっ広い田園風景が、寂しい聖域のようだった。そこに乱暴に踏み込んで来た者たちは、結局最後はどうなったか。
通常なら字幕を表示させそうな手話の会話に、弁士のような手話通訳者の女性の声が響くのが新鮮で、双子の兄妹の躍動感をそのまま直に感じられた。
ラクとろう者たちの関係性から、社会から排除された者同士の連帯感が伝わってくる。

ポリョンを演じたチン・ソヨンにも圧倒された。監督は彼女の役柄を、物語を展開させたり従順に仕えたりするキャラクターにはしたくなかったらしい。結果的に女性の観客から支持を受けるキャラクターになったと聞いて、深く納得した。
「麻薬組織のボスの隣にいる女」という"あるある"な配役であそこまで記憶に残るキャラクターは、いないんじゃないか。作品からフェミニズムを感じるかと言われれば首を傾げるが、画一的な女性キャラクターを描くことはしないという強い意思は感じる。あと、女性を性的に映す場面は一度もない。

ラクは何度も「僕のことが必要ですよね?」とウォノに尋ねる。その言葉が、映画を見終わったあとには異なる響きを持って胸に届く。

「今までの人生で幸せだったことは?」
このたった一言がラクの今までの人生すべてを引きずり出し、銃声が一発響き、兄妹たちはそのことに気づかないまま、雪原の中で物語は幕を閉じる。