やっつけ本番

思いついたら書きます

あなたの人生の物語『毒戦 BELIEVER』感想(ネタバレ)

韓国映画『毒戦 BELIEVER』を観た。

一緒に映画を観賞した母は、劇中でイカれた残虐クリスチャンを演じていた俳優チャ・スンウォンの大ファン。
既に公開初日に観賞済みという熱狂的ファンガールの母は2度目の観賞になるわけで、いくらか気持ちも落ち着いて……と思いきや、チャ・スンウォンが登場する度に胸に手を当て祈りを捧げていた。
(チャ・スンウォンが劇中で痛めつけられる度に「スンウォン氏になんてことを!私が守ってあげる!」と張り裂けそうな気持ちでいたらしいが、イカれ神父の所業を考えれば当然の報いではないか)

いきなり起承転結の結にあたる話をするが、ラストシークエンスに辿り着くまでは「いや〜〜ここ最近観た映画の中で一番面白いなぁ!」程度だった心の距離感が、『今までの人生で幸せだったことは?』というたった一行の台詞によって崩壊した。

オープンエンドが好きなわけでも嫌いなわけでもない。展開に心を揺さぶられたのではなく、あのウォノのたった一言「今までの人生で幸せだったことは?」という本当にたった一言と、ウォノを見据えるラクの瞳、魂を解放されたかのように寂しく壮大な雪原を見つめるウォノの姿に、心を引きずり倒されたのだ。あのラストでなけれは、私はここまで精神をかき乱されたりしなかった。

ラクは劇中、「僕は何者ですか?」とウォノに問いかける。
麻薬によって人生を狂わされたラクは、麻薬の世界から逃れるのではなく麻薬をコントロールする側に立つ。ウォノは面倒を見ていた未成年の少女をおとりとして巻き込み、結果的に死なせてしまう。まだ若い部下も亡くした。

イ先生という架空の悪魔を創り上げたラクと、実態のないイ先生を後戻りの道は見失ったとばかりに執着し追いかけるウォノ。
そしてある時ふと、「自分は一体、何者なのだ?」「そもそも何を追い求めていたのだ?」と気づき、愕然とする(けれどこの瞬間は、ラストのコテージで二人が再会した際に訪れた気がする)

ウォノとラクは、この人は信頼に値する人なのか、とお互いが疑心暗鬼になる。疑心暗鬼になるということは、心のどこかで相手を信じたいと思っているからではないか。
人の善性を見抜くことに(恐らく)長けているラクは、出会った当初からウォノに対して気遣うような、感情のこもった眼差しを向けている。ウォノの瞳にも、ラクの生い立ちを聞く度に同情の色が浮かび、ラクを気にかける自分への狼狽が見える。

ラクは感情の読めない人間だが、その瞬間瞬間の言動には嘘がない。濃度の強い危険な麻薬からウォノを守ろうとしたことも、銃撃戦のあとにウォノに手を差し出したことも、すべて本心からだろう。

ラクのウォノへと向ける視線が変わったな、と感じたのはウォノがホテルで一人二役を演じた時。ウォノがハリムに憑依したかの如く喋り始めた瞬間、ラクの瞳が輝いた……気がした。
王にはなれそうもないソンチャンがウォノと全く同じ行動を取り、ウォノは狂人ハリムの憑依に成功する。なんだか皮肉に感じたし、「自分を規定できない者たち」の姿がそこにあった。

ラスト以外にもうひとつ好きなのが塩工場の場面。だだっ広い田園風景が、寂しい聖域のようだった。そこに乱暴に踏み込んで来た者たちは、結局最後はどうなったか。
通常なら字幕を表示させそうな手話の会話に、弁士のような手話通訳者の女性の声が響くのが新鮮で、双子の兄妹の躍動感をそのまま直に感じられた。
ラクとろう者たちの関係性から、社会から排除された者同士の連帯感が伝わってくる。

ポリョンを演じたチン・ソヨンにも圧倒された。監督は彼女の役柄を、物語を展開させたり従順に仕えたりするキャラクターにはしたくなかったらしい。結果的に女性の観客から支持を受けるキャラクターになったと聞いて、深く納得した。
「麻薬組織のボスの隣にいる女」という"あるある"な配役であそこまで記憶に残るキャラクターは、いないんじゃないか。作品からフェミニズムを感じるかと言われれば首を傾げるが、画一的な女性キャラクターを描くことはしないという強い意思は感じる。あと、女性を性的に映す場面は一度もない。

ラクは何度も「僕のことが必要ですよね?」とウォノに尋ねる。その言葉が、映画を見終わったあとには異なる響きを持って胸に届く。

「今までの人生で幸せだったことは?」
このたった一言がラクの今までの人生すべてを引きずり出し、銃声が一発響き、兄妹たちはそのことに気づかないまま、雪原の中で物語は幕を閉じる。